「アメリカは2日で退院?」大谷選手のニュースで思い出した、娘の出産と私の運転奮闘記

娘と孫

大谷選手の第二子誕生のニュースを聞いて、ふと20年前の光景を思い出しました。

当時、アメリカで結婚生活を送っていた娘の出産に立ち会った時のことです。

日本とは何もかもが違う出産スタイル、そして慣れないアメリカの地での運転……。今となっては懐かしい思い出ですが、当時の私にとっては人生で一番の「冒険」だったかもしれません。

今回は、20年前のアメリカ出産体験と、そこで改めて感じた日本の医療のありがたみについてお話しします。

アメリカの病院、その驚きの設備

娘が出産したのは20年前のことですから、今とは状況が変わっているかもしれません。それでも、当時の驚きは今でも鮮明です。

まず驚いたのが、病室の広さです。分娩室と病室が一体になっていて、日本の病院の4人部屋くらいはあるでしょうか。

部屋の中には最新の医療機器がずらりと並んでいて、いざとなれば帝王切開もそのまま行えるような、非常に頼もしい環境でした。

さらに印象的だったのは、夫が宿泊できるベッドが完備されていたこと。娘婿が「なかなか寝心地がいい」と言っていたのが、どこかアメリカらしい余裕を感じさせました。

「こんなに楽なら…」無痛分娩という選択

娘は全部で3回出産しました。

第一子の時は、アメリカで一般的な「無痛分娩」で出産しました。

産気づいてから入院すると、陣痛の間隔がいい頃合いになると、脊椎に麻酔の注射を打ちます。専門の先生が注射します。すると本当に無痛状態になるんだそうです。

娘は「こんなに楽なら何人でも産めるわ!」と驚いていました。アメリカで大家族が多い理由を、身をもって理解した瞬間でした。

一方で、第二子の時は陣痛の進行が早すぎて注射が間に合わず、普通分娩を経験することに。

「日本のお母さんたちは、みんなこんな痛みに耐えて産んでいるんだね。私を産んでくれた時もそうだったんだよね、本当にありがとう」と、出産後に私に伝えてくれた言葉は、今でもよく覚えてます。

70歳の今なら絶対無理!?アメリカでの運転

娘の出産期間中、私は孫たちの面倒を見ながら、毎朝車で病院へ通っていました。

アメリカは車社会で、駅やバスや電車を見かけることはほとんどありません。しかも娘婿はイラク戦争で片目を失明しており、運転ができません。ですから、私がハンドルを握るしかなかったのです。

広大なアメリカの道路を運転したあの日々。

70歳になった今、「アメリカで車を運転して」と言われたら、間違いなく「ありえへ〜ん!」と答えるでしょうね(笑)。あの時の私は、娘と新しい命を守るために、必死でアクセルを踏んでいたのだと思います。

医療制度の素晴らしさを再認識

アメリカでの出産で一番驚いたのは、やはり「退院の早さ」です。普通分娩であれば、2日、長くても3日で退院します。1週間入院するのが当たり前の日本からすると、あまりの速さに言葉を失いました。

お母さんの体は大丈夫なのか心配になります。

娘婿が教えてくれたのは、「アメリカは医療費がとても高いから、長く入院はできないんだよ」という現実でした。

娘の出産に立ち会ったことで、改めて日本の医療保険制度がどれほど手厚く、ありがたいものであるかを痛感しました。

最後に

異国の地で3人の子供を産み育てた娘、そしてそれを支えるために駆け回った当時の自分。

20年という月日が経ち、今こうして日本の自宅でブログを書きながら、あの頃の景色を思い出せることを幸せに思います。

大谷選手をはじめ、世界で活躍する人たちのニュースを見るたびに、かつてアメリカの空の下で頑張っていた娘と家族の姿が重なります。

これからも、離れて暮らす孫たちを、ここ三重からずっと応援し続けたいと思います。

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