50歳。当時の私は、二人の娘を育て上げ、「自分の役目はもう終わった。いつ人生の幕を閉じてもいい」とさえ思っていました。酷使してきた体に疲れを感じ、余生を淡々と過ごすつもりだったのです。
しかし、娘のアメリカでの出産が、私の人生観を180度変えてしまいました。異国で暮らす娘。日本人同士でも結婚生活は大変なのに・・・「文化の違い」の一言では片付けられません。
アメリカ出産の驚きと、銀髪の天使
娘の結婚相手はアメリカ人。初孫に会うため、私はアリゾナへ飛びました。 そこで目にしたのは、日本の常識では考えられない光景の連続です。
- 分娩室がそのまま病室? 夫用のベッドまで完備された至れり尽くせりの環境。
- 「何人でも産める!」 無痛分娩の快適さに驚く娘の笑顔。
- 産後2日で退院! 日本のような「床上げ」なんて言葉はどこへやら。
自宅で初めて対面した孫は、私の想像をはるかに超えていました。 真っ白な肌に、明るいグレーの瞳。茶色の中に金髪が混じり、キラキラと輝く髪。 「本当に私の血が4分の1混じっているの?」と疑ってしまうほど、日本人離れした美しさでした。
でも、その小さな命に触れた瞬間、理屈抜きで感動が押し寄せました。 「人はこうして命を引き継いでいくんだ。私のDNAも、ここにある」 自分が出産した時とはまた違う、震えるような喜び。娘に何度も「産んでくれてありがとう」と伝えました。
レディーファーストの国の現実?文化の壁に唖然
しかし、感動も束の間。アメリカ生活のリアルに私は「は〜〜〜!?」と声を上げそうになります。
産後5日の娘が洗濯をしている横で、育休中の婿はポテトチップスを食べながらDVD。さらには、毎日30分以上の長電話をする相手は、なんと彼のお母さん。 「レディーファーストの国なのに?」「もしかしてマザコン?」 知り合いもいない異国で奮闘する娘の姿に、私はハラハラし通しでした。
極め付けは、娘の怒りの爆発。新生児の検診予約を3回も忘れた夫に対し、英語で猛然とまくし立てる娘。 かつて英語が苦手だったあの子が、異国の地で対等に戦っている。その姿に、私はただただ驚きました。
「生きる目的」が書き換わった瞬間
1ヶ月の滞在で、私は決意しました。 「あかん、まだまだ死なれへん!この子の力にならなきゃ」
それからの12年、10回も海を渡りました。 アラスカのアンカレッジで食べた絶品のクラムチャウダー、ハワイやグアムで孫たちと過ごした眩しい時間。 ガレッジセールで宝探しをした日々。 私の50代は娘夫婦と孫たちのおかげで、これ以上なく彩り豊かなものになりました。
孫との約束、20年後の未来へ
月日は流れ、コロナ禍の直前。 2番目の孫(男の子)と寝る前に交わした会話が、今の私の宝物です。
「グランマは、あと何年生きられるの?」 「そうだね、あなたのお嫁さんや子供も見たいから、あと20年は生きたいな」
すると、その子はこう言ってくれたのです。 「僕がハーバードに行って、グランマが長生きできる薬を作るから。だからグランマは死なないよ」
その言葉だけで、あと20年どころか、いくらでも頑張れる気がしました。
結び
20歳で結婚し、26歳で離婚。がむしゃらに働いてきた私の人生。 「娘たちが自立すれば終わり」だと思っていた物語には、続きがありました。
命のバトンは、想像もしなかった色や形で引き継がれていきます。 あの時、アリゾナへ行って本当によかった。 今は、孫が作ってくれる「魔法の薬」を待ちながら、一日一日を大切に、パワフルに生きていこうと思っています。
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