「私はパパから、あれをしろ、これをしろとか言われたことがないわ。全部パパがやってくれたの。だからこんな不出来な娘になった。」半分笑いながら言う、自覚のある彼の娘ちゃん。「パパは自分の自己満足で私を育てた。本当に私のことは考えてくれてなかった」と言う。「ATM兼家政婦」の父親に「ありがとう」を言う気はなさそうな娘ちゃん。
子育てって難しい。自立して一人でしっかり生きてほしい!とは思ってない彼。再婚した主人と私の子育て感は180度違いました。
10月10日、40年間消えなかった記憶
私には40年以上、毎年必ず、一瞬だけ思い出す人がいました。 10月10日。彼の誕生日が来ると、あの物静かで優しい笑顔が浮かんでくるのです。
高校の就職活動で、偶然にも同じ会社を選び、二人だけで合格したあの日。「運命」を感じずにはいられなかったけれど、若かった私は彼の隣にある「安心感」よりも、もっと刺激的な「大人の魅力」に目を奪われてしまいました。
「あの人はダメだ。幸せにはなれない。」彼の予言と、私の遠回り
19歳の私は、喫茶店に彼を呼び出し、あまりにもあっさりと別れを告げました。 「あの人はダメだ。絶対幸せになれない」 寂しそうにそう言った彼の予言は、その後の私の人生で見事に的中することになります。20歳で結婚。 モテる夫は、父親にはなりきれない人でした。26歳で離婚。
娘たちを抱え、救急車で運ばれるほどボロボロになりながらも、「これくらいで済んで良かった。神様が何かを教えてくれているんだ」と自分を奮い立たせて生きてきました。
その後、43歳で再婚し、57歳で2度目の離婚。私の人生は、激動そのものでした。
62歳、43年ぶりの「答え合わせ」
そんな私が、なんと62歳で、19歳の時に振った「彼」と再婚することになったのです。
43年の時を経て繋がった縁。ずっと言いたかった「あの時はごめんね」という言葉。けれど、物語は「めでたしめでたし」では終わりませんでした。
共に暮らし始めて見えてきたのは、私が知らなかった彼の「父親としての姿」です。
運命の再婚、その後のリアル
再婚して驚きました。彼は、32歳になる娘さんの「ATM兼家政婦」になっていました。掃除、洗濯、炊事、そしてお小遣い……。
自立を促すことが親の責任だと信じてきた私とは、あまりにも価値観が違ったのです。
彼も娘さんも、「ありがとう」と「ごめんなさい」が言えない人でした。
私の娘から言われました。「好きなはなれないだろうけど、嫌いにならんといてな。今まで人間関係でいっぱい損してきた可哀想な娘ちゃんやで。育てた親の責任やね。」
触らぬ神に祟りなし、という平穏
再婚して8年。 娘ちゃんとは一度も喧嘩はありません。彼女のすることしないこと問わず、何も言わないからです。自分は何もせずに、してもらうのが当たり前だと思ってるんだ・・・そう感じました。当然、会話は減ります。娘ちゃんと、旅行も映画も一度も行ったことはありません。主人ともありません。
40年越しの再婚。それは、甘いロマンスの完成ではなく、お互いの歩んできた人生の「価値観の違い」を受け入れる生活。それは結構しんどい毎日です。
「お前は俺に食べさせてもらってるんだから、その恩を娘に返せ。娘の世話をしろ」と主人に言われました。私との再婚の真の目的は、ずっと娘の世話をして少し疲れたので、私にもさせようと思ったようです。
神様は私に何を教えようとしているのか。 今はただ、家族なのに家族感の感じられない生活に、波風を立てず、この穏やかな(あるいは冷ややかな)平穏の中に身を委ねてます。
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