「今の日本人は、あの信長や秀吉、徳川家康よりも恵まれている」。
70歳という節目を迎え、ふと日常を見渡すと、あまりの快適さに驚かされます。
蛇口をひねれば水が出て、ボタンひとつで涼しい風が吹く。冷蔵庫にはいつでも冷たいアイスクリームがある。
♩御伽話の王子でも昔はとても食べられない、アイスクリーム〜〜〜♩
ふとそんな歌が浮かぶほど、歴史上の偉人すら想像できなかったこの快適な生活。
今日は、昭和37年、小学1年生だった頃の記憶を辿りながら、今の豊かな暮らしへの感謝を綴ってみます。

昭和37年、まだテレビのない暮らし
1962年(昭和37年)、東京オリンピックを2年後に控えた日本は、国全体が活気に満ちあふれていました。
当時小学1年生だった私の記憶にあるのは、今とは全く別の景色です。
我が家にはまだテレビがなく、母は川で洗濯をしていました。近所のお母さんたちも集まり、まさに「川端会議」。
母の足元で川ガニを追いかけて遊んだ光景は、昨日のことのように思い出せます。
我が家は部屋数7つに広い土間、さらにみかんを保管する広い納屋がある家でしたが、今と決定的に違ったのは「水回り」です。
お風呂とトイレは、なんと外の別棟にある農機具倉庫の中。暗い夜の「ポットン便所」は怖くて、妹と手をつないで駆け込んだものです。

お風呂は「おじいちゃんの社交場」
お隣さんのお風呂は、なんと屋外で屋根すらありませんでした。
大の相撲好きだったお隣のおじいちゃんは、テレビで相撲を見るために、毎日午後3時にはお風呂へ向かいます。雨の日はお休み。
おじいちゃんが素っ裸で、タオル一枚を手に家から出てくる姿を、近所の子供たちは「当たり前」のように見ていました。
マキで沸かす五右衛門風呂の周りには、いつも10人くらいの子供が集まり、おじいちゃんの相撲談義に聞き入ります。
「巨人・大鵬・卵焼き」の時代。
大鵬を熱く語るおじいちゃんの湯船に、悪ガキたちが手を突っ込んでも怒らない。あの頃の、あけっぴろげな距離感が、今となってはとても懐かしく感じます。
不便だったけれど、すべてが「循環」していた
当時はバキュームカーもゴミ収集車もありませんでした。排泄物は父が畑の肥料にし、生ゴミは土に埋める。
すべてが大地に還る、究極のエコサイクルの中に私たちは生きていました。
今の私たちは、昔の人が喉から手が出るほど欲しかった「便利さ」をすべて手に入れました。
でも、あの頃の川での会話や、お風呂でつながっていた地域の絆は、今の生活の中で少しだけ忘れ去られているのかもしれません。
わずか65年前は、今からは考えられないような生活でした。 そんな時代を経て、今ここにある快適な毎日に、心から感謝したいと思います。
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