70歳を迎えた今、ふと目を閉じると浮かんでくるのは、18歳まで居たあの懐かしい故郷の風景です。
特に夏が来ると鮮明に思い出すのが、小学生の頃に過ごした「お盆」の記憶。
海辺にあった母の実家の活気、優しかった祖母のお墓参り、そして夜空の下でみんなと踊った盆踊り……。
そこには、幼い私を温かく包んでくれた大好きな従兄弟たちと、忘れられない「昭和の夏」がありました。
今回は、私のお盆の原点である甘酸っぱい思い出と、今では信じられないような田舎暮らしの驚きのエピソード、そして25年の月日が流れた今の故郷への想いを綴ります。
世代を超えて、どこか懐かしい気持ちを感じていただけたら幸いです。

活気あふれる海辺の家と、私のお盆の味
私が小学生だった頃のお盆は、決まって母の実家で過ごすものでした。
漁師を本業としていたその家は、朝から活気に溢れ、潮の香りと威勢の良い声が響き渡っていました。
母は9人兄弟姉妹という大世帯。母の結婚が遅かったこともあり、私には年上の従兄弟がたくさんいました。
集まると、年の離れた小さな私を誰もがとても可愛がってくれたものです。
毎日たくさん遊んでもらえて、楽しくて楽しくて、「今年もお盆が来た!」と毎年胸を躍らせて向かっていました。
お盆の食卓に並ぶのは精進料理。
その中で今でも私にとって「お盆の味」として記憶に残っているのが、切り昆布の煮物です。
あのじんわりと優しい味わいを口にすると、一瞬で当時の賑やかな食卓へタイムスリップしてしまいます。
祖母への想いと、クルクル回る扇子踊り
夕暮れ時になると、みんなでお墓参りへ出かけます。
眠っているのは、みんなが大好きだった優しかった祖母。お葬式の時に見た祖母の最後のお顔は、幼い私の心に強く残っていて、今でも忘れることができません。
「ばあちゃん、また来たよ〜」
墓前に立つと、いつも心の中でそう語りかけていました。
そして、夜のお楽しみは盆踊りです。 綺麗な浴衣を着せてもらい、みんなで会場へ向かいます。
それはご先祖様を供養するための大切な踊り。中でも、みんなでクルクルと扇子を回しながら踊る「扇子踊り」が楽しくて、夢中になって手を動かしていたのを覚えています。
しかし、そんな夢のようなお盆の集まりも、私が中学生になる頃には少しずつ変わっていきました。
従兄弟たちが就職や結婚で一人、また一人と家を離れ、集まる機会が減っていったのです。「あぁ、みんなに会いたいなぁ……」当時の寂しい気持ちは、今でも少し胸を締め付けます。
昭和の田舎の衝撃!一升瓶のムカデと母の教え
夏の終わりになると、我が家には忘れられない「恒例の光景」がありました。
ふと見ると、家の中に置いてある一升瓶。その中を覗き込むと……思わず息をのむような光景が広がっていました。
焼酎の中に浸かっているのは、黒光りした10cm以上はある大きなムカデたち。しかも、ウジャウジャと何匹も泳いでいるのです。
子ども心に「なんじゃこれは……!」と恐怖を覚えるグロテスクな見た目でしたが、どうやら何かの「薬」になるとのこと。
結局、一体何の薬だったのかは聞かずじまいで終わってしまいましたが、あの衝撃的な一升瓶の姿は今でも忘れられません。
何しろ、我が家は大自然に囲まれたど田舎です。 夏の夜は、クーラーなどなくエアコン代わりに雨戸を開けっぱなしにして寝ていました。すると、夜中にムカデが忍び込んでくるのです。
ある夜、母の首筋にムカデが這っていて・・・。 母はパニックになることもなく、シュッと手で素早く払いのけました。
「絶対に叩いたらいかん!叩くと刺されるから払うんだ!」
母からは毎年そう言われていました。 もし刺されたら最後、ものすごく腫れて激痛が走り、病院へ直行することになります。
アロエを塗るくらいの気休めでは到底太刀打ちできません。
そんなムカデと隣り合わせだった、少しスリリングで、でもどこか長閑(のどか)だった昭和の暮らし。
25年の歳月が流れて
18歳で故郷を離れてから、長い年月が経ちました。今年、私は70歳になります。
ムカデが何匹も出た思い出の詰まった我が家には、もう誰も住んでいません。
誰もいなくなってから、かれこれ25年という月日が流れてしまいました。手入れをする人もいない家は、時の流れとともにボロボロに朽ち果ててしまいました。
可愛い孫たちを連れて、「ここがおばあちゃんの育った家だよ」と見せてあげることは、もうできません。
形ある実家はなくなってしまいましたが、胸の中にある「切り昆布の味」や「扇子踊りの情景」、そして「優しかった祖母や従兄弟たちの笑顔」は、今も色あせることなく残っています。
あの愛おしい昭和の夏を思い出しながら、今年もまた、心の中で静かにお盆を迎えようと思います。
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