昨年秋、更年期障害からウツに。暮れの入院から始まった娘の闘病生活。
今年48歳になった娘は、昨年までは「ウツ」の状態でしたが、この春、予想もしなかった「躁状態」が現れ、医師から「躁うつ病」と診断されました。
医師から告げられたのは、「この病気は完治はしません。遺伝的な原因もあることがある」という言葉。
その瞬間、私の頭をよぎったのは、47年前の忘れられない光景でした。1979年、まだ1歳だった長女を抱えていた、あの日々です。

48年前、ギブスに巻かれた娘の姿
当時1歳だった娘は、つかまり立ちをしても2・3歩で止まってしまい、何日経っても歩数が増えませんでした。 嫌な予感がして病院へ向かうと、告げられたのは「先天性股関節脱臼」という診断。
しかも、私自身も1歳のとき患っていたという「遺伝性」のものだと。
「お母さんが股関節脱臼だったら、赤ちゃんが生まれた時にすぐ検査してあげないとダメですよ。楽に早く治療出来たのに。」
その言葉を聞いた時のショックと、「私が娘を苦しめてしまった」という強烈な自責の念は、70歳になった今でも色褪せません。
その日のうちに娘は腰から下をギブスで固定され、両脚は180度開脚という自由のきかない状態に。泣き叫ぶ娘を見て、可哀想で・・・申し訳なくて・・・自分を責めて、涙が止まりませんでした。
父と母が教えてくれた「子への愛」
当時、私の父は、私が子供の頃の治療で使っていたのと同じ椅子を、孫のためにと手作りしてくれました。
「まさか、孫にまで同じ椅子を作ることになるとは……むげねぇ(かわいそう)」そう言う父と、涙ぐむ母の姿が忘れられません。
当時の夫は、結婚した意識や父親になった自覚もない状態で、私は孤独の中で必死でした。両親の深い愛情だけが私を支えてくれていました。
母がよく言ってました。1歳の私が治療中、父が暇さえあれば絵本を読み、お絵かきし、ハーモニカや尺八まで吹いて聞かせていた。妊娠中の母はとても助かったと。
その父の子煩悩さが、私には痛いほど身に沁みました。
完治への喜びと、今日への願い
半年後、娘は完治しました。
恐る恐る歩き出し、最後には少し走れるようになったあの時の感動。
私は娘のギブス姿を写真に残しました。「将来、娘が出産した時に、すぐ検査を受けてほしいから」という願いを込めて。
その願い通り、孫の代では大事に至らずに済みました。
今、娘の躁うつ病と向き合いながら、私は時折不安に駆られることもあります。 私の家系に、これまで躁うつ病の人間はいませんでした。
それでも、私が病気のきっかけを娘の頭の中に作って産んでしまったのではないか?
娘が小さい頃、仕事ばかりして母親らしいことをしなかったのが原因なのでは・・・?と落ち込むこともあります。
せめてもの救いは、娘自身が昨年からの経験を一つひとつ学習し、少しずつ自覚を持ち始めてきたことです。
私がかつて両親に守られていたように、きっと今度も父が空から娘を守ってくれる。そう信じて、私はこれからも娘を見守り、支え続けていこうと思います。
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