今年4月、5年間の闘病の末に70歳で旅立った主人。亡くなるわずか5日前、私に初めて「ありがとう」と言ってくれました。主人の「したいように」させてきた5年間。ぶつかり合うことも多かったけれど、今、私の中に悔いはありません。
今回は、闘病2年目、まだ主人が通院していた頃のお話です。「来んでいい!」と怒鳴る主人と、思わず帰宅してしまった私。強がりな患者の心理と、家族の葛藤、そして今だから笑って(少しため息をつきながら)振り返られる、忘れられない「通院拒否事件」を綴ります。

バス停での大喧嘩。「もういい!来んでいい!」
それは、抗がん剤治療のための通院の朝のことでした。 バスの発車時刻は8時30分。バス停までは歩いて7分ほど。まだたっぷり時間があったので、私は天気の良い庭で、主人が植えた花に水やりをしていました。やっておかないと、後でまた主人が文句を言うからです。
すると突然、玄関から主人の怒鳴り声が響きました。
「行くぞ!」
時計を見ると、まだ出発の30分前です。 「えッ!バスまだ30分前よ」 「もう行くんじゃ!」 「え〜〜ちょっと待ってよ」 「もういい!来んでいい!」
主人はそう言い放ち、私を置いて一人でスタスタと先に行ってしまいました。
急いで後を追いかけ、バス停にたどり着くと、主人はさらに信じられない言葉を口にしたのです。
「帰れ!俺が心配じゃないのか!」せっかく追いかけてきたのに、あんまりな言い草です。思わず私も言い返してしまいました。 「待ち時間と心配は関係ないよ」
「帰れ!」 周りで一緒にバスを待っている人たちも、何事かと驚いてこちらを見ています。あまりの理不尽さに、私の我慢も限界を迎えました。
「わかった!帰るよ」
私はそのまま自宅へ引き返しました。もう、知〜らない! 一人で病院に行けないわけではないのだから、たまには一人で行けばいい。そう思ったのです。
「付き添いをお願いします」主治医からの突然の電話
その日を境に、主人は数回、一人で通院するようになりました。
そんなある日、天気はあいにくの雨でした。 主人は咽頭癌の影響で右腕が動かなくなり、三角巾で吊っている状態です。つまり、左手で傘を持ったら、転んだときに手を突くことができません。
嫌な予感は的中しました。携帯電話に、主治医の先生から直々に電話が入ったのです。
「奥さん、今日ご主人が来るとき、バス停で転倒されましてね。お顔を怪我されていたので、こちらで治療しました。今後も何かあると大変ですので、やはり付き添いをお願いします」
心臓がギクリとしました。 急いで家に帰ると、帰宅した主人の顔を見て言葉を失いました。なんと、顔の半分が真っ白なガーゼで覆われていたのです。
「あ〜〜〜、なんと……」
強がりな主人の、不器用な可愛さ
左手で傘を差し、足元が滑って顔から地面に落ちてしまったようでした。 大怪我のはずなのに、主人は帰ってくるなり、なぜか一生懸命に私に話し始めました。
「バス停で転んだらな、女子高校生が駆け寄ってきて、俺を起こしてくれたんだよ!」
痛々しい顔半分ガーゼの状態で、自分を助けてくれた親切な女子高生の話を必死にする主人。その姿を見ていると、心配な気持ちと、可笑しい気持ちと、呆れた気持ちが混ざり合って、大きなため息がこぼれました。
「はぁ……もう、ため息しか出ないわ」
きっと主人も、一人で頑なに通院した手前、私に「悪かった」とは言えなかったのでしょう。女子高生の話を大袈裟にすることで、気まずさを紛らわせようとする主人の不器用な「強がり」が、今となっては愛おしく思い出されます。
最後に:したいようにさせたから、悔いはない
この事件の後、結局また私は付き添いとして一緒にバスに乗ることになりました。
病気になると、これまで出来ていたことが出来なくなり、患者本人はプライドが傷つき、やり場のないイライラを一番身近な家族にぶつけてしまうことがあります。 あの時の主人の「来んでいい!」も、病気に負けたくない、一人で出来ると思いたい、そんな必死の抵抗だったのかもしれません。
時にぶつかり、時に突き放し、それでも主人の「したいように」伴走し続けた5年間。 亡くなる5日前に主人が私にくれた「ありがとう」の5文字は、あの雨の日のガーゼの顔も、バス停での大喧嘩も、すべてを包み込んでくれる最高の宝物です。
わがままで、強がりで、でもどこか憎めない主人の植えた花に、私は今日も水をやっています。
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