「また来年ね」「落ち着いたら会いに行くから」 そう言い合える相手がいることは、とても幸せなことです。けれど、その約束が「永遠に叶わない約束」になってしまう怖さを、私は今、身をもって知っています。
私は今年70歳。この春、癌を患っていた夫を看取りました。 悲しみの中で届いたのは、遠く東北に住む親友からの「また救急搬送された」という知らせ。
10年前、私の都合で会う約束を流してしまったあの日から、私たちは一度も再会できていません。
「弱った姿を見せたくないから、来ないで」拒絶ともとれる親友の言葉.
そして亡き夫が最後まで貫いた美学。彼が教えてくれたのは、70代という年齢において「動ける体」がいかに奇跡的で、貴重なものであるかということでした。
10年という月日の重さと、取り戻せない時間
還暦のお祝いに東北へ行く予定を立てていたあの日。 孫の行事という「日常の用事」を優先して、親友との約束を延期しました。当時は、またいつでも会えると思っていたのです。
しかし、その後に訪れたのはコロナ禍という断絶、そして夫の病。 気づけば10年もの月日が流れていました。 昨年、不整脈で倒れた親友は、後遺症で以前のように話すことができなくなりました。「電話も無理、会いに来ないでほしい」という彼女のメールに、私は自分の甘さを突きつけられました。
そして、夫が逝った日の朝、親友はまた緊急搬送されていました。
あのとき、無理をしてでも行けばよかった。 悔やんでも、時計の針は戻りません。
夫が守り通した「弱った自分を見せない」という美学
今年4月に旅立った夫も、同じことを言っていました。 余命宣告を受けてもなお、兄弟や友人には伏せてほしいと。「心配をかけたくない」「弱った姿を見られたくない」。
入院中の親友が送ってくれた「あなたの人生を無駄にせず、明るく生きて」というメッセージ。 それは、死にゆく夫が、そして病と闘う友が、愛する人へ贈る最後のリスペクトなのだと感じます。彼女が守りたい「元気だった頃の自分」というプライドを、私は尊重しなければなりません。
70代、「動ける」ということは最大の資産
私たちはつい、老いを緩やかな坂道のように想像してしまいます。 けれど現実は、ある日突然、崖から落ちるように自由を奪われることがあります。
不自由になった彼女の姿を通して、私は教えられました。 70代の「動ける体」は、神様から与えられた期間限定のギフトなのだと。
足が動く、目が見える、言葉が交わせる、食事ができる。 この「当たり前」が揃っている時間は、驚くほど短く、そして何よりも貴重です。

「いつか」を「今日」に変える勇気を
「もし、あのとき会っていれば……」という後悔は、一生消えることはありません。 だからこそ、私は心に決めました。 これからは「元気なうちに」ではなく、「元気な“今”」会いに行こうと。
もしあなたに、顔を見たい誰かがいるのなら。 声を聞きたい大切な人がいるのなら。 どうか、何よりも優先してその一歩を踏み出してください。
70代の時間は、私たちが思っているよりもずっと、贅沢で、そして急ぎ足で過ぎ去っていくものだから。
後悔しないために。会いたい人には、今すぐ会いに行こう
行きたい場所には、足が動くうちに行く。
会いたい人には、声が出るうちに会いに行く。
伝えたい言葉は、相手が聞けるうちに伝えておく。

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