「初めまして」と呼ぶ母を見送って。町内バスの運転手さんが教えてくれた、家族のかたちと介護の現実

3回目の結婚生活

町内を走る巡回バスの運転手さんは、とても優しい方です。

乗客を安心させる丁寧な運転、周囲への譲り合い、そして歩行者やトラックの運転手さんと交わす温かい挨拶。その人柄が伝わる姿に、いつも温かい気持ちにさせられます。

しかし、ふとした会話で知った彼の人生は、想像以上に重く、そして深いものでした。

数年間にわたるお母様の介護、そしてその中で下した「離婚」という大きな決断。

お互いの実家が遠方で、共に「一人っ子」同士であったからこそ直面した、逃げ場のない現実。

私は今年で70歳。昭和31年生まれの私にとっても、介護や「人生の最後をどこで過ごすか」という問題は、もう遠い未来の話ではなくなりました。

今日は、町内バスの運転手さんから聞いたエピソードをもとに、家族の介護と、私たちが選ぶ「自分らしい終の棲家」について考えてみたいと思います。

みんなが手を振る運転手さんの笑顔の裏側

彼が運転するバスは、乗っているだけで安心感があります。

譲り合いの精神が徹底されており、その運転からは彼の誠実な性格がにじみ出ています。

驚くことに、対向車のトラック運転手さんや道を歩く近所の人たちも、彼を見かけると手を振るのです。もちろん、彼も笑顔で手を振り返します。

そんな光景を見ていると、この町でどれほど愛されているかがよく分かります。

そんな彼が先日、お母様を介護していた頃の話をしてくれました。

お母様が亡くなったのは昨年、享年90歳。死因は乳がんだったそうです。 高齢のため進行はゆっくりでしたが、気づいたときには手遅れ。

ただ、幸いなことに最後はあまり苦しまずに逝くことができたのが救いだったと話していました。

「はじめまして」という悲しい挨拶

彼にとって、介護の日々で何よりも辛かったこと。それは、お母様に認知症の症状が出始めてからのことでした。

会いに行くたびに、お母様は彼を見て「はじめまして」と言うのです。

息子としての思い出を分かち合う会話が、もう数年もできなかったこと。その時の喪失感と孤独は、言葉にできないほど深いものだったはずです。

介護のために選んだ「別れ」という選択

彼が語った中で最も衝撃的だったのは、介護のために離婚を選んだという事実でした。

彼も奥様も、お互いに「一人っ子」。しかも、奥様の実家は遠方で、同様に親御さんの介護が必要な状況でした。

「お互いの親をお互いで看取ろう」 そう決めての別離だったといいます。

離婚の原因がすべて介護だけではないことは分かりますが、これからの時代、一人っ子同士の結婚が直面する大きな現実を突きつけられたような気がしました。

たまに連絡を取り合い、娘さんとも話をしているそうです。形は変わっても、彼らなりの家族のつながり方は続いているのでしょう。

70歳、私たちの「終の棲家」

2年前、近くに老人ホームが建設されました。完成する前から入居者が決まっていたといいます。

以前、ご近所の70代後半の女性が「娘の家族と同居する気はないけれど、娘の住む街の近くの施設を探しているの」と言っていました。

私には妹が二人おり、私が遠方に住んでいることもあって、実家の介護は妹たちが担ってくれました。感謝してもしきれません。 独り身が増え、介護問題がより身近になる中で、「どこで、誰と、どう最期を迎えるか」。

バスの運転手さんのエピソードは、そんなこれからの私たちの生き方に、静かな、けれど大切な問いを投げかけてくれているようです。

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