余命宣告から最後の日まで。夫との複雑な関係と、私がようやく手に入れた「自由な人生」

2025年4月、主治医から告げられた言葉は、あまりにも唐突でした。

「もう治療方法がありません。早ければ3ヶ月か半年。長くて1年でしょう。延命措置をどうするかと、やっておきたいことを考えることをおすすめします」

その時、主人は実感していなかったのだと思います。 「先生、俺はまだちゃんと歩けてるし、食べれてる。あと4・5年は生きれそうな気がするんやけど……」

それは主人の偽らざる本心でした。毎日横で見ていた私自身も、「あと1年なんて、そんなに短く見えるものだろうか」と感じたほどです。今年のお正月には、嬉しそうにお寿司を16カンも食べていたのですから。

遺された「未来」の形

しかし、死が近づくにつれ、空気は少しずつ変わっていきました。 亡くなる1ヶ月ほど前、主人はふと「お前が思ってるほど、俺は元気じゃないんだ」と呟きました。

死を実感し始めたのは、おそらくその頃からでしょう。

ある日、主人は部屋の天井をじっと見つめ、「残念です。僕はこのまま死んじゃいます」と呟きました。私に向けてではなく、自分自身へ、あるいは誰か見えない存在へ語りかけるような口調でした。

主人の死後、遺品を片付けていて胸を突かれたものがあります。

花の種の袋が5袋。未使用の支柱が10本。そして新しいプランターが数個。 主人は、その瞬間まで、また新しい花を植えるつもりでいたのです。その真っ直ぐな「生への意志」に、言いようのない切なさを覚えました。

「許せない」という気持ちを抱えて

正直に書きます。

私は、決して出来た妻ではありません。 長年にわたる主人からのパワハラにより、私の中で夫は「大好き」な存在から、いつしか「ただの同居人」へと変わっていました。

癌で闘病する主人を見ても、「可哀想だ」という感情は湧きませんでした。

そんな私が、主人と最後に触れ合ったのは、亡くなる前日のことでした。

普段ならウトウトしている主人が、その日はずっと目を開けていました。帰り際、「じゃあ、また明日来るね」と声をかけると、バイバイをするように手をゆっくりと上げたのです。

その時、なぜか思わず、私はチョンと主人の手にタッチしました。それが、生きていた主人を見た、触れた、最後でした。

翌朝、「もう亡くなられてました」と病院から電話がありました。 調べてみると、夜中に息を引き取ったようです。昔から「人は干潮時に亡くなる」と言いますが、まさにその通りでした。

驚いたのはその数日後です。ふと過去の日記を読み返していると、ちょうど1年前、主人がこんなことを言っていたと書き留めてありました。 「俺は、夜寝て、朝になったら死んでた……そんな死に方がしたい」

なんと、主人は理想通りの死に方を叶えたのです。そのことだけは、心から「よかった」と思えました。

70歳、私の人生の始まり

主人の訃報を伝えた際、高校時代から私を知る先輩にこう言われました。 「本当に男運が悪いよな」

その言葉を聞いて、私はふと思いました。本当にそうだろうか? 70歳を過ぎて借金を背負わされたわけでもない。主人が認知症になり、何年も壮絶な介護を強いられたわけでもない。

そう、私はこれから、自由な時間が増えるのです。 主人がまだまだ元気だったら、おそらく離婚していたでしょう。そう思うと、今の状況は私にとって「第二の人生」への入り口なのかもしれません。

水に流せない過去を抱えたままでも、いい。 無理に聖人君子にならなくても、いい。

私は、これからの残りの時間を、私自身の人生として生きることに決めました。 そう、やっと私の人生がここから始まるのです。

毎日、人生で一番若い日を素晴らしい日にします❣️

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