62歳で再婚したお相手は、高校時代の同級生であり、かつての恋人でした。 32歳の娘さんと二人暮らしの家に入った私を待っていたのは、想像もしなかった「壁」でした。
「娘には何も言うな」
夫からそう釘を刺され、私は黙々と耐える日々。挨拶をしても無視、夫からも、心ない言葉を投げかけられることも日常茶飯事。そんな生活が続き、2年間で6kgも痩せてしまったあの頃は、まさに地獄でした。
そして今年4月、夫が永眠しました。 絶望の淵に立たされたはずの義娘が、夫の死を境に180度変わったのです。
「なぜ人は、こんなにも変われるのか?」
戸惑いながらも、今日まで耐えてきた8年間の記録と、今の正直な胸の内を記しておこうと思います。

「おはよう」から始まる無視の日常
再婚当初の私は、新しい家族との生活に微かな期待を抱いていました。しかし、現実は甘くありませんでした。
朝、声をかけても返ってくるのは「ん」という返事、あるいは完全な無視。 病院を聞いても「そんなん知る訳ないやん!」と突き放される。 夫に「怒っってんの?」聞くと「いいや、あれで普通や」と。そうか・・・話はできないなと、諦めるようになりました。
夫から言われたのは「俺から養ってもらってる恩を、娘に返せ」つまり、娘の世話をしろ!と言うことなのです。「何を言われても、何をされても我慢しろ」と。
再婚する前は「娘は男みたいな性格やから、何もせんでいい」これは真っ赤な嘘やん!で喧嘩です。
2年間で6kg痩せた、息の詰まる毎日
食事が柔らかすぎると「ベチャベチャで食えねぇんだよ!」と怒鳴られ、ある日は、目の前に洗濯物をドサッと積まれ、お願いはない。何回も凹みました。
夫が入院中も、家事は一切しない。夜9時に帰宅する私を待つのは、洗い物と洗濯物。
私が何か言い返せば、夫は私を叱ったでしょう。
私と娘が喧嘩になれば、夫は娘の味方をして、私は家を出ることになるのは分かってたので、ただ耐えるしかなかった。毎回、胸が凹み、押し潰されそうになりました。夫とは絶対交わることのない「子育て」そうわかっていても言わずにはいられず、いつも喧嘩になりました。
夫の死後、義娘に起きた「驚きの変貌」
そんな日々の中、今年4月に夫が亡くなりました。 葬儀を終え、これからどうなるのかと不安に押しつぶされそうになっていた私の目に飛び込んできたのは、信じられない光景でした。
あれほど何もしなかった義娘が、自分から洗濯物を取り込み、使ったお皿を洗うようになったのです。言葉の端々にあったトゲも消え、よく話しかけてくるようになりました。
頼れる人が誰もいなくなった孤独からか、それとも何か別の心境の変化なのか。 以前の彼女を知る身としては、驚きと戸惑い、そして少しの冷めた感情を隠せません。
「立つ鳥跡を濁さず」の決意
再婚の際、夫と約束を交わしていました。 「俺が死んだら、この家と土地は娘の名義にする」 「いずれお前はこの家を出る」
その約束は守るつもりです。幸い、遺族年金のおかげでこれからの生活の目処は立ちました。 あの日々の仕打ちを、私がすぐに忘れることはできません。いつか元に戻るのではないかという不安も、心のどこかにずっとあります。
それでも、私は立つ鳥跡を濁さず。 しっかりとけじめをつけて、この家を出て、新しい人生の時間を歩み始めようと思っています。
人生は70歳からが本番と言いますが、こうして過去を書き出すことで、ようやく自分の心も整理できそうです。
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