43歳で掴んだ、2回目の結婚生活。 50歳を迎えた2006年当時、再婚7年目だった私たち夫婦は、57歳の夫と愛犬と共に、平穏な二人暮らしを送っているはずでした。
しかし、その平穏はある日突然、音を立てて崩れ去ります。 きっかけは、私の娘がアメリカで出産することになり、「手伝いに行ってくるね」と夫に伝えたことでした。そこから始まった夫の異変、家の中の狂気、そして心療内科で告げられた信じられない診断。
うつ病という病が暴いたのは、夫の意外な弱さと、それ以上に恐ろしい「お金に対する歪んだ本性」でした。 「この人と一緒にいたら、私の老後はボロボロになる――。」
病気が回復していく夫の姿を見ながら、私が58歳での離婚を決意し、そこから8年間「ある準備」をし続けた実話をお話しします。今、パートナーとの金銭感覚の違いや、老後の生活に不安を抱えている方の心に、少しでも届くものがあれば幸いです。

「アメリカに行くね」その一言から夫は挙動不審になった
2006年の5月。アメリカに住む娘の出産を手伝うため、私は夫に「9月にアメリカに行くね」と告げました。 その瞬間から、夫の様子が明らかに変化したのです。
最初は、それが「うつ病」のサインだとは夢にも思いませんでした。 「誰かに尾行されている」「監視されている」とおびえ、オドオドして仕事にも行けなくなり、わずか1週間ほどで会社を休職することになってしまったのです。
本当の恐怖はここからでした。 ある日、私が仕事から帰宅すると、家の中が文字通り「グシャグシャ」に荒らされていたのです。驚きと怒りで「やめてくれ!」と叫ぶ私に、夫は「ごめん……ごめん……」と繰り返すだけ。どうやら「監視カメラがあるはずだ」と思い込み、家中を探し回ったようでした。
朝方までかかってようやく片付けたというのに、なんと次の日も、帰宅すると家の中は再びグシャグシャ。もう片付ける気力さえ失せました。
症状はさらにエスカレートし、夜中も眠らずに突然「懺悔(ざんげ)」が始まりました。 幼少期の子育ての反省を私に謝り続け、ついには嫁いだ娘にまで電話をかけて謝罪しだす始末。さらに、普段は愛犬に対して冷淡だった夫が、この時ばかりは異常なほど優しく接していました。一番戸惑い、驚いていたのは、他でもない愛犬だったと思います。
「これは、絶対におかしい。」 知人に紹介してもらった心療内科へ、夫を連れて行くことにしました。
医師が告げた原因と、回復期に始まった「別の懺悔」
医師と夫が30分ほど話し合った後、私が診察室に呼ばれました。 先生から告げられた夫のうつ病の原因は、信じられないものでした。
「奥さんが娘さんの出産でアメリカに行ったら、もう二度と日本に帰ってこないのではないか、と思い詰めてしまったようです」
グリーンカード(永住権)も持っていない私がアメリカに永住できるわけがない、といくら説明しても、当時の夫の耳には届かなかったのです。 先生は「まだ軽いうつ病です。まずは睡眠薬でしっかり眠りましょう。1ヶ月もすれば良くなりますよ」と、半信半疑の私を送り出しました。
診察の後、夫は丸二日間、高いびきをかいて爆睡しました。 目が覚めると、随分と頭がスッキリしたようで、自分で巻き散らかした家財道具を片付け始めたのです。
夫が回復の兆しを見せたのは安心でしたが、本当の「絶望」はここから始まりました。 今度は、私に対するお金の懺悔が始まったのです。
ニヤニヤ笑いながらの謝罪。「この人といたら老後はボロボロになる」
もともと夫はお金を見るとすぐ使ってしまうタイプで、相談もなしにローンを組むため、私はいつも目を光らせていました。時折、「あれ?お金が足りないな、気のせいかしら」と思うことが数回あったのですが、その真相が夫の口から語られました。
「実は、時々お金を抜いていた。ごめん」
娘への必死な懺悔とは違い、私へのお金の告白は、なぜか半分「ニヤニヤ」と笑いながらのものでした。 これまでも、いくら「私は打ち出の小槌じゃない」と言っても、勝手に買い物をしては私に請求書を回してきた夫。立替請求の中には、愛犬の散歩中にゴミ箱から拾った財布の件までありました。
そのニヤニヤした謝り方を見た瞬間、私の背筋に冷たいものが走りました。 心から反省しているのではない。これは「またやるよ」という再犯予告のように思えてならなかったのです。
夫の回復ぶりは、愛犬への態度を見ても一目瞭然でした。体調が戻るにつれ、また元の「冷たい夫」に逆戻り。愛犬はまたまた驚いた顔をしていました。
「この人と一緒にいたら、私の老後はボロボロにされてしまう。」
そう確信した私は、その場で離婚を決意しました。 しかし、愛犬には環境を変えて負担をかけたくない。 「愛犬が生きてる間は離婚しない。でも、今から準備を始めよう。」
そう心に誓い、私は9月、予定通り娘の出産のためにアメリカへと旅立ちました。
父の残した言葉、傷だらけの8年越しの決断
アメリカへ向かう飛行機の中で、私はある光景を思い出していました。 この夫と再婚したばかりの頃、私の両親を連れて京都旅行へ行った時のことです。
新幹線で見送る際、父が私の耳元でぽつりと言った言葉。 「お金には気をつけるんだぞ」
当時の私は「何のことだろう?」と深く考えもしませんでしたが、父はあの時すでに、夫の本質を見抜いていたのかもしれません。「そうか、このことだったんだ……」と、何年も経ってから父の深い洞察力に気づかされました。
その後、娘が出産するたびに私は渡米しましたが、その度に実印の隠し場所を変えていました。 しかし後になって、夫が「どこに隠しているか、毎回全部知っていたよ」と口にした時は、本当にゾッとしました。幸いにも、大きな借金をされるような事態にまでは至りませんでしたが、一歩間違えれば取り返しのつかないことになっていたでしょう。
それから8年後。 我が家を支えてくれた愛犬が息を引き取りました。 私は58歳になっていました。
愛犬への看取りを終え、準備を整えていた私は、迷うことなく離婚届を提出しました。
最後に
2回目の結婚生活は、激動の末に「離婚」という形で幕を閉じました。 配偶者の病気は支え合うべきものですが、それがきっかけで見えてしまった「金銭感覚の致命的なズレ」や「誠実さの欠如」は、自分の人生を守るために見過ごしてはいけないサインです。
あの時、情に流されず、自分の老後を守るために「準備」を始めたことは、今でも間違っていなかったと確信しています。
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