62歳のとき、高校の同級生であり元カレでもあった夫と3回目の結婚をしました。
青春時代を知る相手との再婚。穏やかで温かい老後が待っているはずでした。
けれど、暮らし始めて見えてきたのは、かつての優しい面影とは程遠い「モラハラ夫」への豹変。
何をしても否定され、気を張り詰める毎日の中、結婚3年目には体重が6kgも落ちてしまいました。
誰にも苦しみを理解してもらえない孤独。
そして再婚6年目、私の心はいよいよポキリと音を立てて折れそうになっていました。
「このままじゃ壊れてしまう。一度、ここから逃げ出そう」
そう思い立って決行したのが、夫に内緒の「九州へのプチ家出」でした。
久しぶりの新幹線、懐かしい景色、そして期待を裏切られた家族の冷たい反応と、温かい旧友たちの言葉――。
あの数日間の逃避行が、私に何を教えてくれたのか。
その後、夫の闘病と見送りまでを経験した今だからこそ振り返ることができる、私の大切な心の記録です。

心の限界。名古屋から新幹線に飛び乗って
「もう無理かもしれない……」 そう思った瞬間、体が動いていました。
62歳で高校時代の元カレと3回目の結婚をしてから6年。 夫のモラハラに耐え続ける日々に、私の心は限界を迎えていました。
結婚3年目には体重が6kgも激減。家の中では常に夫の顔色をうかがい、呼吸すら浅くなっているような毎日でした。
このままでは自分が自分でいられなくなってしまう。 そう感じた私は、夫に何も言わず、衝動的に「プチ家出」を決行したのです。
名古屋駅から乗り込んだ、本当に久しぶりの新幹線。 車窓から京都の街並みが見えてきました。鴨川の河川敷――昔、愛犬と一緒に歩いた懐かしい道です。
遠くには東寺の五重塔も見えました。 「懐かしいなぁ……。またいつか来よう。今度は、気ままな一人旅で」
新幹線が西へ進むにつれ、張り詰めていた胸の奥が少しずつ緩んでいくのを感じました。目指すは、生まれ故郷の九州です。
身内だからこそ分かってもらえない孤独
九州の実家に到着し、妹には夫に内緒で家を出てきたことを打ち明けました。 事前に言わなかったのには理由があります。
以前、夫のモラハラで激痩せしてしまったとき、妹に電話で悩みを打ち明けたことがありました。
けれど、妹は信じてくれませんでした。高校生の頃の夫の姿を知っている妹は、あろうことか私にこう言ったのです。
「姉ちゃんが心を入れ替えて、もっと感謝して尽くさなきゃダメだよ」 それどころか、「若い頃に彼を一度振ったことこそが、姉ちゃんの人生最大の汚点だ」とまで責められる始末。
妹の中では、「夫が怒るのは、すべて私の行動に原因がある」ということになっていたのです。 だから前もって言えば止められるのは目に見えていました。
それでも、実際に顔を合わせれば「もう、急に来てびっくりしたやん!」と、半分呆れながらも笑って迎えてくれるのではないか――そんな甘い期待を抱いていました。
しかし、妹の反応は私の想像を遥かに超えて冷ややかなものでした。
「姉ちゃん、悪いことは言わんから、今すぐ帰りよ。まだ今なら大ごとにはならん」
妹は、私のこの家出がきっかけで離婚沙汰になるのではないかと本気で怯えていました。
「そんなことはあり得ない」と伝えても聞く耳を持たず、それどころか「自分がこの家出に加担したと旦那さんに思われたら困る」と、あからさまに不機嫌になっていったのです。
四六時中ピリピリとした空気が漂い、妹の家族にも申し訳なくて居場所がありませんでした。
一番わかってほしかった身内に、一番拒絶される苦しさ。 結局、私は予定を早めて妹の家を出て、近くのホテルに宿を取り直しました。
「もう、九州に帰ってきても妹の家にお世話になることはないだろうな……」 ホテルのベッドに入り、寂しさをヒシヒシと感じました。
旧友たちとの再会と、心の中のつぶやき
地元の友達が6年ぶりとなる「プチ同窓会」を開いてくれました。 もちろん、家出してきたなんて口が裂けても言えません。
彼らは夫のこともよく知る仲間たちです。夫が癌を患っていることも知っていたため、私が一人で息抜きに帰省してきたのだと思っていました。
「おう!痩せたなぁ。えらいスッキリして……」 「アイツが癌やと、看病やら何やらでいろいろ大変なんやろ。頑張れや!」
みんな、私が痩せたのは夫の闘病を支えている心労からだと思い込んでいました。
(実は、モラハラで6kg痩せたあと、夫の入退院が続いて家にいない時間が増えたおかげで、3kgリバウンドして戻っていたのですが……後で親友にだけこっそり話したら大爆笑されました)
席を囲みながら、みんなそれぞれに健康のこと、家族のこと、年齢相応の重い課題を抱えながら懸命に生きていることを知りました。
愚痴を言い合い、笑い合い、生きていることを確かめ合う時間。 「私だけが辛いんじゃない。みんな踏ん張って生きているんだ」と、背筋がすっと伸びる思いがしました。
帰り際、みんなが口々に言いました。 「アイツを頼むぞ!しっかり看病してやってな!」
「分かった!頑張るよ!」 笑顔で手を振りながら、私は心の中で静かにつぶやいていました。 ――私なりに、私が壊れないペースで、頑張るわ。
帰宅して目にした光景
帰りの新幹線の車内から、夫に何気ないLINEを送りました。 返信の文面を見る限り、怒り狂っている様子はありません。
自宅のドアを開けた瞬間、夫と目が合いました。 ほんの一瞬。本当に一瞬でしたが、夫の顔に「ホッとした色」が浮かんだのを私は見逃しませんでした。
そして台所に目をやると、驚くほど綺麗に片付いていました。
留守中の夫の世話は義理の娘にお願いしてあったのですが、彼女は決して几帳面なタイプではありません。こんなにピカピカに磨き上げるはずがないのです。
(……ということは、これ、夫が自分でやったんだ)
一目瞭然でした。どうりで、夫の顔に隠しようのない疲労の色が濃く滲んでいるわけです。
私が毎日当たり前にこなしていた家事を、病気の体で自分でやってみて、初めてその重さに気づいたのでしょう。
数日後、夫がぽつりと呟きました。 「お前がおらんと、大変やった……。アイツ(義娘)は全然使えん」
その不器用な言葉を聞いたとき、私の中で何かがストンと腑に落ちました。 私の存在を一番当たり前だと思い、軽んじていた夫が、私の不在によってその重みを知った。
それだけで、あの時新幹線に飛び乗った意味は十分にあったのだと思えました。
プチ家出が教えてくれたこと
あの九州へのプチ家出を通じて、私はいくつもの大切なことに気づきました。
血を分けた妹であっても、他人の夫婦関係の本当の地獄は理解できないこと。
自分を本当に救ってくれるのは、身内の無責任なアドバイスではなく、遠くから笑い合える旧友たちの存在や、自分自身の「一歩踏み出す勇気」だということ。
そして、どんなに威張り散らすモラハラ夫でも、私の支えがなければ日常すらまともに回らないのだということ。
逃げ出したことで、私の心は完全に折れずに済みました。
翌年、夫は余命宣告を受けました。 死を意識してからも、長年染みついたモラハラ気質が完全に消えることはありませんでした。
腹の立つこと、悔し涙を流した夜は数え切れません。
それでも、あの家出の経験があったからこそ、私は夫の理不尽な言葉を真に受けすぎず、どこか客観的に距離を保ちながら最後まで付き添うことができたのだと思います。
そして今年4月、夫は静かに旅立っていきました。
いろいろなことがあった6年間の結婚生活。 傷つき、疲れ果てた日々だったけれど、あのとき自分の足で立ち、自分の心を守るために逃げ出せた自分を、私は今でも誇らしく思っています。
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