【実話】62歳で高校の同級生だった私と再婚した夫。末期癌でも家事を辞めなかった「不器用な大和魂」と娘への愛

62歳で再婚した相手は、高校時代の同級生で元カレでした。45歳で離婚し、男手一つで娘を育て上げた彼。今年4月、彼は70歳でこの世を去りました。
末期癌を患い、右腕が動かなくなってもなお、彼はバスに揺られてスーパーへ行き、娘のために料理を作り続けました。
「お前は自分の分だけ作ればいい」と私を台所から遠ざけました。25年間、娘から一度も「ありがとう」と言われずとも尽くし抜いた男の背中。
彼にとって「父親」とは、そして「家族」とは何だったのか。不器用で、頑固で、けれど誰よりも情熱的だった彼の「生き様」をここに書き留めます。

「お前の料理は食べない」に隠された夫のプライド

再婚して間もない頃、私が作ったピカタを娘が「美味しい!」と喜んでくれたとき、夫の機嫌は目に見えて悪くなりました。 普通なら喜ぶ場面ですが、彼は違った。娘にとっての「美味しい」は、自分だけの特権であってほしかったのでしょう。 「お前は、お前が食べる分だけ作れ」 そう言われたとき、私は「楽でいいわ」と受け流しましたが、今思えばあれは彼なりの、娘を守り続けてきた「城」を譲らないという宣言だったのかもしれません。

癌に侵されても、重いバックパックを背負って

末期癌で余命を宣告され、右腕が動かなくなっても、彼は「お前は目利きが悪いから俺が行く」と、トボトボと歩いてバスに乗り、スーパーへ通いました。 免許を持たない娘と運転しない私。我が家には車がありません。 彼はスーパーで2時間もかけ、長年愛用した調味料や生鮮食品を吟味します。抗がん剤で細くなった肩に、パンパンに詰まった重いバッグを背負って。 亡くなるわずか10日前まで、彼はそのルーティンを崩しませんでした。

25年間「ありがとう」がなくても

40歳になる娘は、家事を一切しません。夫がそう育て、ATMと家政婦の役割を完璧にこなしてきたからです。 「優しさの押し売りやで」と笑う娘。25年間、一度も父親に感謝の言葉をかけたことがないという現実。 客観的に見れば「アホやなぁ」と思うかもしれません。でも、私には到底できないその徹底した献身は、どこか神聖なものすら感じさせました。 娘が食べない日があっても、「仕事から帰ってきて何もないのは可哀想だ」と包丁を握る。それが彼にとっての「生き甲斐」そのものだったのでしょう。

最後まで捨てなかった「大和魂」

旅立ちが近づく彼に、「何かしてほしいことはない? 娘にハグしてもらうのは?」と尋ねたことがありました。 彼は「アホ抜かせ!俺は日本人や。まだ大和魂は捨てとらん!」と一蹴しました。 最後まで素直になれず、弱さを見せず、父親としての役割を全うして逝った人。

そんな生き方、私には真似できません。でも、あんなに不器用で、あんなに真っ直ぐに誰かを想い続けた人生は、きっと彼にとって幸せなものだったのだと信じたいのです。 「後悔しても知らないよ」と心の中で毒づきながら、私は今、彼がいなくなった静かな台所で、あの重かったバックパックの感触を思い出しています。


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