【実録】コンプレックスだった私の顔が、アメリカで可愛い孫に化けるまで。

「お姉ちゃんは、お父さんに似なくて残念だったね」 幼い頃からそんな言葉を浴び、中学生の時には黒板に書かれた「ブスランキング」に傷ついたあの日。 自分の容姿に絶望した私が、20歳で結婚を決めた時、心に誓った唯一の条件は「絶対に顔のいい人と結婚する」ことでした。

農家の嫁としての苦労、初めての出産、そして予期せぬDNAのいたずら……。 コンプレックスを抱えて生きてきた私が、70歳になった今、なぜ「娘よ、ありがとう!」と空を見上げて笑っているのか。 これは、一人の女性が外見の呪縛から解き放たれ、幸せを繋いでいくまでの、愛と執念(?)の物語です。

「良妻賢母」を夢見た21歳の冬

今から50年前、20歳で結婚した私は、翌年に新しい命を授かりました。 お腹が大きくなるにつれ、私は毎日お腹に話しかけました。「ママ、頑張るからね。元気に生まれてきてね」と。

当時の私は、とにかく「立派な母親」になりたかった。 一人で生きていける子に育てよう、そのためには私が良妻賢母にならなければ。そんな強い決意で、農家の嫁としての忙しい日々を駆け抜け、分娩室に入ってわずか30分という安産で長女を出産したのです。

イケメンの夫を選んだ「本当の理由」

生まれたばかりの我が子を見て、私は心底ホッとしました。 「よかった、夫に似てくれた……!」

実は、私が結婚相手に求めたのは、何よりも「外見の良さ」でした。 私の父は、俳優の佐田啓二さんに似た美男子。しかし、私は悲しいかな母親にそっくり。3姉妹の長女でありながら、妹二人は父似の美人で、私は幼い頃から常に比較されて育ちました。

中学生の時、黒板に書かれた「ブスベスト3」の2位に私の名前があったこと。 妹たちにはミスコンの誘いが来るのに、役員さんが私に申し訳なさそうな顔をしたこと。 それらの経験は、私の心に深く、鋭い棘のように刺さっていました。 「私のような思いを、子供には絶対にさせたくない」 その一心で選んだ結婚相手だったのです。

DNAのいたずらと、まさかの展開

長女は夫に似て美しく育ちましたが、次女は私にそっくりでした。 生まれた瞬間、「可哀想に……」と胸が締め付けられたのを覚えています。「どうか、顔のことで嫌な思いをしませんように」と、祈るような気持ちで育てました。

しかし、人生とは本当に分からないものです。 私に似てしまったと案じていたその次女が、後にアメリカ人と結婚。 そして産まれてきた3人の孫たちは、「本当に私が産んだ子の、その子なの?」と疑うほど、愛くるしいハーフの子供たちだったのです。

70歳の今だから言えること

還暦の同窓会で、かつて私を貶めた同級生が難病で欠席だと聞いた時、正直に言えば「ざまー見ろ」と思ってしまいました。それほどまでに、言葉の暴力は長く人を縛ります。

でも、今の私は幸せです。 かつて「ブス2位」と書かれた私のDNAは、娘へ、そして海を越えた孫たちへと引き継がれ、今やキラキラとした輝きを放っています。 容姿に悩み、執念でイケメンの夫を探し、農家で泥だらけになって働いた日々。そのすべてが、この可愛い孫たちの笑顔に繋がっていたのだと思うと、人生の帳尻はどこかで合うようにできているのかもしれません。

「娘よ、そしてお婿さん、本当にありがとう!」 70歳の私は今、三重の空の下で、最高に晴れやかな気分でブログを書いています。

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