今年4月に夫を見送り、気づけば70歳。
8年前に「3回目の結婚」を決めたとき、九州で介護施設を営む高校時代からの親友は「苦労するからやめとき」と本気で心配してくれました。
結果はその言葉通り、看病と介護に追われ、2年で体重が6キロ減るほどの怒濤の日々。
夫が天国へ旅立ったあと、何もなければ親友の待つ故郷へ帰り、一緒に第二の人生を歩むつもりでした。
しかし、人生は思い通りにはいかないもの。
今度は大阪で暮らす娘が双極性障害を患い、母として放ってはおけない現実が目の前に現れたのです。
故郷へ帰る道を手放し、私が選んだのは大阪への移住。
70年生きてきて、なんと「人生初」となる一人暮らしへの挑戦です。
遺品整理、体のメンテナンス、そして限られた予算の中で心豊かに暮らす工夫——。
私の13回目の引越し計画と、これから始まる「足るを知る暮らし」への一歩を綴ります。

親友の予言と、駆け抜けた8年間の結婚生活
九州の故郷には、かけがえのない親友がいます。
71歳になった今も現役バリバリで介護施設を経営している、パワフルな女社長。
高校の同級生なので、私の亡き夫のこともよく知っている間柄です。
8年前、私が62歳で夫と「3回目の結婚」をしようとしたとき、彼女は本気で引き止めてくれました。
「苦労するよ、やめとき〜!それよりこっちに帰ってきて一緒に仕事しよう。住むところも仕事もあるし、年をとって動けなくなったら私の施設に入ればいいんだから」
現実は、彼女の言った通りでした。
夫の癌の闘病と介護。必死でお世話をする中で2年間に6キロも体重が落ち、心身ともにすり減るような毎日を駆け抜けました。
そして今年の4月、8年間の結婚生活に幕を下ろし、夫は天国へと旅立ちました。
故郷への帰還を阻んだ、もう一つの現実
何事もなければ、夫を見送った後は親友の言葉に甘えて九州へ帰るつもりでした。
けれど、人生はそう簡単にはいかないものです。
大阪に住む娘が、昨年から双極性障害を患ってしまいました。
激しい躁状態と、深い鬱状態。揺れ動く娘の姿を目の当たりにして、遠い九州へ帰る気にはどうしてもなれませんでした。主治医からは「完治はなく、一生付き合っていく病気」と告げられています。
「娘も一緒に連れておいで。住む場所ならあるよ」
親友はそう言ってくれましたが、娘自身に九州へ行く気持ちはありません。
いつも私のことを気にかけ、手を差し伸べ続けてくれた親友。
本当に感謝しているし、力になれなくて申し訳ない気持ちでいっぱいです。
でも、今は母親として、娘のそばにいる道を選びたいと思います。
70歳、人生で初めての「一人暮らし」へ
そうと決まれば、前を向くしかありません。
来年1月末を目処に、現在暮らす三重から大阪への引越しを決めました。
- 仕事場に通いやすい場所を選ぶこと
- 娘の家にも1時間以内で行ける距離に住むこと
- 体力に合わせて仕事の時間を少し減らしつつ、無理のないペースで働くこと
年金とパートの給料の範囲で、欲張らず、身の丈に合った「足るを知る暮らし」を作っていく予定です。
思えばこれまで70年間生きてきて、一人暮らしをするのは今回が初めて。
不安がないと言えば嘘になりますが、それ以上に「自分の時間と空間をどう楽しもうか」というワクワク感もあります。
元々物欲はあまりないタイプ。70歳からの人生、無理のない予算をしっかり組んで、物ではなく「思い出作り」にお金を使っていきたいと思っています。
旅立ちの準備と、これからの身体のメンテナンス
現在、4月に亡くなった夫の遺品整理がようやく半分ほど終わったところです。
夫から家を譲り受けた義娘ちゃんも、一人でこの家に暮らしていく覚悟が少しずつ芽生えてきたようで、お金の使い方にも自立した落ち着きが見られるようになりました。
「もう私がいなくても、この子は大丈夫だな」
そう思えるようになり、天国の夫もきっと安心してくれているはずです。
さぁ、これで私の人生「13回目」となる引越し計画が本格的にスタートしました。
ただ、準備を進める中で気になるのが身体のこと。最近、膝の痛む時間が長くなってきました。
13年前に内視鏡で半月板の手術を受けたのですが、半月板の状態はレントゲンでは写らず、MRIでないと確認できないそうです。
引っ越しの重い荷物と戦う前に、まずは病院でしっかりMRIを撮って、自分の身体を労わることから始めます。
山あり谷ありの70年でしたが、ここからがまた新しい私の物語。
一歩ずつ、軽やかに進んでいこうと思います。
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